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神戸地方裁判所 平成元年(ワ)819号 判決 1990年8月08日

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 長桶吉彦

被告 株式会社 イナハラ

右代表者代表取締役 稲原耕三郎

右訴訟代理人弁護士 阿部清治

同 工藤涼二

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一申立

(原告)

一  被告は、原告に対して、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月二二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする

との判決並びに仮執行の宣言

(被告)

主文同旨の判決

第二主張

(原告)

〔請求原因〕

一 原告は医師で、神戸市北区に診療所を開設している。被告会社は事務機器の卸売、小売、修理を業としている。

二 原告は、昭和六三年二月六日被告会社三宮店で、シャープ株式会社製電子手帳PA―六五〇〇(標準価格一万七八〇〇円)を購入した(以下「本件電子手帳」という)。

右電子手帳は、カレンダー機能、スケジュール機能、電話帳機能、メモ機能、電卓機能等の多機能を持ち、スケジュール機能、電話帳機能、メモ機能についてはパスワード(暗証番号)を登録して記憶内容をシークレットにすることができた。

三 原告は、本件電子手帳を購入後、手帳等に筆記していた約半年先までのスケジュール、友人、知人の氏名、住所、電話番号及び所有株券のデータをこれに入力記憶させ、他に知られたくない重要な記憶内容はシークレットにした。さらに、その後に決定されたスケジュール、知人から教えられた氏名、住所、電話番号などは筆記せずに直ちに入力記憶させた。

この結果、同年五月二〇日頃までに、本件電子手帳に記憶させた各データ量は、記憶容量の九〇パーセントに達した。

その頃になって、表示部が暗く見えにくくなり、電池交換の必要が生じた。説明書によれば、電池交換の手順を誤ると記憶データを消滅させるとのことなので、原告は、妻をして同月二一日被告会社三宮店で確認させたところ、同店で記憶データを消滅させることなく電池交換をしてくれるとのことであった。

四 そこで、原告は、翌二二日(日曜)午前、電池交換のために、妻をして本件電子手帳を被告会社三宮店に持参させたところ、同店店員西口隆夫が応対して電池を交換した。

その際、同人は、メモリー保護用電池に触ったか、電池交換後リセットボタンを押す必要があるのにこれを押さなかったかした。この電池交換の手順を誤った過失により本件電子手帳に入力されていたデーターは消滅した。さらに、その後、被告会社は入力データー消滅の責任を認めず、極めて不誠実な応対をした。

その経過は次のとおりである。

1 五月二二日、原告の妻が本件電子手帳を西口隆夫に渡すと、同人は、表示部が見にくいのを確認した後、「電池を換えるのは初めてです。」と言いながら店の奥に入り、約二〇分後に出てきて、「電圧も低いし、ピーという音もしないので電池を換えた。」と説明したが、その態度や本件電子手帳の表示部の様子がおかしいので、原告の妻が「表示して貰いたい。」と頼んだところ、同人は「おかしい」と言いながら再び店の奥に入って行った。その後なかなか出てこないので、呼んでもらったところ、同人は「調べることがあるので、あと二分待ってください」と言って再び店の奥へ入った。

その後一〇分位待っても、出てこないので、原告の妻は予定もあるので食事をするため店を出て約三〇分位して店に戻ったところ、西口隆夫はおらず、主任の中本純雄がなんの説明もなく本件電子手帳を渡そうとするので、確認したところ、中本純雄は「何もしていない、電池も換えていない、預かって修理に出せば火曜日には直ります。」とのいい加減な回答をした。

2 原告の妻は立腹し、店員を信用できなくなったのでそのまま本件電子手帳を持ち帰った。その夜、原告が見たところ、本件電子手帳は表示部が暗いのは直っていたが、カレンダー表示がなされたままのロック状態で、電源も切れず、キーを押してもまったく反応しなかった。

翌二三日午前一〇時頃、原告の妻が本件電子手帳を持参して再度訪れ、稲原一作に「昨日はなぜ一時間もかかり、そのうえおかしくなったのか」と質問したところ、同人は故障の原因には触れず、時間がかかったことについて「店員が遊んでいたからではないか」と人を馬鹿にしたような返答をした。そして、本件電子手帳の電池格納部を少し触って「これで直りました。」と言って返したが、原告の妻が電源を入れ操作したところ、正常に作動せず、ロック状態となった。

翌二四日、原告は、妻に本件電子手帳を被告会社三宮店に持って行かせ、くれぐれも記憶内容を消失させないように注意して貰いたい旨伝えさせて本件電子手帳を修理のために預けた。

3 その後のシャープ株式会社の説明によれば、本件電子手帳が修理のため同社に預けられた時点で記憶データは消失していたとのことである。

しかるに被告会社から同年六月中頃まで納得のゆく説明はなく、西口隆夫らは「電池を換えただけで、三宮店では入力データは残っていた。」旨弁解した。原告が入力データの消失は西口隆夫のミスによるものであると強く追及したところ、同年六月一七日に至り被告はようやく西口隆夫のミスを認め、西口自身も電池交換の手順を誤ったことにより入力データを消滅させたことを認め、同月二一日付けで原告に詫び状を差し入れた。

原告は、右詫び状を強要したり、脅迫したことはなく、任意に作成されたもので記載内容は具体的な体験内容が記載してある。

五 原告は、入力データの消失により同年五月二二日以降のスケジュールの確認ができず、他から指摘されて判明した分だけでも、医師会及び保健所における重要な公式会合に二回欠席しており、会合の他のメンバーに迷惑をかけ、大きな社会的信用を失った。また、友人、知人から聞いて直接入力した情報の中には再度または早期に入手できない重要なものもあり、非常に困った状況に陥った。

さらに、西口隆夫が六月一七日まで過誤を認めないなど、被告会社が極めて不誠実な態度を取ったために、原告らは非常に不快で、精神的苦痛を被り、また被告会社従業員との応対に貴重な時間を浪費された。

六 このように被告会社従業員の不法行為により原告が蒙った精神的苦痛は極めて大きく、本来なら便利且つ信頼しうべき電子手帳に対する信頼感を喪失させ、無駄な商品を買ったとの気持を抱くにいたった。

被告会社は、民法七一五条により賠償責任があるところ、原告の右のような精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇万円が相当で、原告は、被告会社に対して、この金額及び不法行為の日から年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告)

〔請求原因に対する答弁〕

一、二項は認める。三項の内、電子手帳の説明書に電池交換の手順を誤ると記憶データを消滅させるとの説明があることは認めるが、その余は不知。

四項中、西口隆夫が電池交換をしたこと、その後に本件電子手帳がロック状態になったこと、原告の妻が店を出て戻ったときに西口隆夫はおらず、主任の中本純雄が応対したこと、その後原告の妻が本件電子手帳を持ち帰ったことは認める。

西口隆夫は「PA―六五〇〇の電子手帳の交換は初めてだ」と言ったのであって他の電子手帳等の電池交換は経験している。そして約束あって店を出たもので、その際中本純雄に本件電子手帳を渡し「少しおかしいので、修理預かりをしてください」と伝えていたが、中本純雄は正常な状態にあるものとばかり思って原告の妻と応対したのである。

その翌日、原告の妻と対応した稲原一作が原告の妻の質問に軽い冗談で答えたことは認める。その内容は「西口が寝ていたのでしょう」というものであった。

被告会社の原告に対する応対が六月中旬になったのは、修理に出した後メーカーから戻ってくるのを待っていたからで、被告会社としてはメモリー保護電池には触れていないのでデーターは当然残っているものと考えていた。

詫び状を原告に差入れたことは認めるが、原告の感情をなだめるためのもので、被告会社のミスを認めた趣旨のものではない。

五、六項は争う。

〔過失、損害についての反論〕

一 西口隆夫は本件電子手帳の裏蓋を外し、その裏側に指示されている手順で電池交換をしたもので、メモリー保護用電池を外したこともなく、手順を誤ったことはない。

原告は、西口隆夫が電池交換後にリセットスイッチのボタンを押さなかったことの過失をあげている。本件電子手帳の操作説明書には、交換の後リセットボタンを押すよう記載されているが、裏蓋の説明にはそのような記載はなかった。

二 本件電子手帳には電池交換前から瑕疵があったことを窺わせる事実がある。

1 動作用電池が急激に消耗している。

動作用電池は、連続使用で約一〇〇時間、通常使用で約二年間もつはずなのに、本件電子手帳は購入後三ケ月位という異常に短い間で動作用電池が消耗している。

2 原告が入力したデーターは、電話番号一〇〇人分、スケジュールが一日二件として約一一ケ月分で約六七〇件、メモ五〇件に過ぎない。本件電子手帳の仕様書によれば、容量は電話帳が六八〇人分、スケジュールが一〇九〇件、メモ九四〇件とのことであるから、右の入力件数で九〇パーセントになるはずはない。

3 電池取替後、稲原一作が操作した際にいったんは正常に作動した。

三 電子手帳は便利な反面、常にデーター消滅の危険を伴い、本件電子手帳の取扱説明書にデーターが消滅した場合に備え重要なデーターは必ず紙などに記録しておくように指示してある。

にもかかわらず、原告は漫然と入力しただけで別途データーを保管しないでおいて、その責を被告会社のみに押し付け、また重要なデータであれば医師会などに問い合わせれば分かるはずなのにそれもしないで会合等に出席できなかった責任を被告会社のみに転嫁している。

原告の態度は通常の社会生活で許されるはずはなく、従って、被告会社になんらかの過失があったとしても、原告の蒙った損害は、予備データーを保管しておらず確認をしなかった原告の責任で、被告会社に賠償責任はない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因中、原告が被告会社三宮店で本件電子手帳を購入したこと、昭和六三年五月二二日午前、同店に原告の妻が本件電子手帳を持参し、店員の西口隆夫が電池の交換をしたところ、ロック状態(キーを押しても作動しない)になったことは当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、本件電子手帳は、メーカーに修理に出され、メーカーにおいて入力データーを残そうとしたが成功しなかったこと、メーカーでの検査では本件電子手帳に異常はなかったことが認められる。

《証拠省略》によれば、本件電子手帳には動作用電池とメモリー保護用電池とが入っており(動作用電池はメモリー保護の電源にもなる)、電池交換の際にこの二つを同時にはずすと入力されていたデータが消滅することが認められるが、本件電子手帳に関しては電池交換後、単に入力されていたデータが消滅したのではなく、ロック状態になって作動しなくなったのである。

《証拠省略》によれば、西口隆夫は、原告の妻から本件電子手帳を預かり、本件電子手帳の裏蓋内側に記載してある方法に従い電池交換をしたところ、交換後ロック状態になったので、何度も電池交換をやり直したとのことであり、中本純雄、稲原一作も原告の妻から本件電子手帳を受取った後、同様の処置をしたとのことである。右各証拠によれば、西口隆夫は、昭和六〇年四月から被告会社三宮支店に勤務していて、これまで時計、ポケコン等の事務機器さらには本件と同種の電子手帳の電池交換をしたことがあるとのことで、中本純雄、稲原一作についても同様である。

電源がなくなれば、電子手帳に入力されていたデータが消滅することは見やすいことであるから、西口隆夫らが動作用電池とメモリー保護用電池を同時に外すという初歩的な誤りをしたとは考えられない。

ところで、《証拠省略》によれば、電池交換の際に右のようにロック状態になって作動しなくなる原因としては、メイン電源を切らずに、もしくは裏蓋を取った所にある電池交換スイッチを「切」にせずに電池を交換した場合、電池交換後にリセットボタンを押さずにキー操作をした場合が考えられるとのことである。

そして、《証拠省略》によれば、本件電子手帳と同型のPA―六五〇〇の取扱説明書及び電子手帳の裏蓋の内側に表示してある説明の動作用電池交換の手順は、メモリー保護用電池を外さないように注意したうえ、電源を切ること、電池交換スイッチを「切」にすること、電池交換後、裏蓋を外した所にあるリセットボタンを押してから裏蓋を取り付け、電源スイッチを「入」にする旨が図解入りで説明してある。

しかるに、《証拠省略》によれば、本件電子手帳の裏蓋の内側に記載してある動作用電池交換の手順説明には、リセットボタンを押すことの記載がない。本件電子手帳の裏蓋内側の記載がこのようになっていた理由は不明であるが、この記載に従い(すなわち、電池交換後、リセットボタンを押すことなく電源をいれる)電池交換をすると、交換後ロック状態になる危険があることになる。

前記のとおり、西口隆夫、中本純雄、稲原一作とも電子手帳その他の機器の電池交換について経験があることからすると、本件電子手帳の裏蓋内側に記載してある方法に従い電池交換をしたとの同人らの供述を疑う理由はなく、結局、そのためにロック状態になったと認められる。

三  そうだとしても、入力データが消失した原因はかならずしもあきらかでないが、西口隆夫らはなんども動作用電池の交換をしており、その間になんらかの事情で入力データが消失したのではないかと推認される。

前記のとおり取扱説明書には、電池交換後、リセットボタンを押すように記載してあるが、西口隆夫らとしては、本件電子手帳に示された方法で電池交換をしたのであるから、動作用電池の交換に過失を認めることはできない。そうすると、同人らに入力データーの消滅についても過失はないことになる。

もっとも、西口隆夫が原告の妻を電池交換で二〇分近くも待たせ、その理由について説明せず、しかもその後なんの挨拶もせず店を離れているのは不誠実というほかない。しかし、本件電子手帳に記載された方法で電池交換をしたにもかかわらずロック状態になったことについての西口隆夫の困惑も推察に難くないところで、あながち非難できない点もある。また、稲原一作の原告の妻に対する態度も、被告会社の自認している程度でも、同女の立腹をかって当然であるが、いずれも原告に関することでもないうえ、《証拠省略》によれば、入力データー消滅があきらかになった後、被告会社の代表者が原告に謝罪の電話をし、西口隆夫、稲原一作は原告方に謝罪に訪れ、さらに原告の求めに応じて、西口隆夫、中本純雄は、昭和六三年六月二一日付けで、原告に今回の件について陳謝する旨の書面を差入れ、また原告は受取らなかったものの、被告会社は、交換の電子手帳等を持参し、さらには、再度の入力について協力する旨申し出たことが認められる。

そもそも、被告会社に入力データーの消滅に責任がないのであるが、西口隆夫らの態度、あるいは入力データー消滅後の被告会社の応対に適切さを欠いた点があって、その点につき不法行為を論ずる余地があるとしても、被告会社が右のように原告に陳謝の意を表明していることに鑑み、その点は慰謝されたと解するのを相当とし、被告会社の損害賠償義務の存否を論ずる必要はない。

四  よって、原告の本訴請求は、その余の点を検討するまでもなく理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明)

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